篤姫は13代将軍・家定の正室です。NHK大河ドラマにもなり、興味を持つ人が急増中。2年にも満たない篤姫の家定の新婚生活…その夫婦仲は?家定は本当に「うつけ」だった?子供は?暗殺説の真相は?…そんな篤姫と家定についての四つのトピックをリサーチ。
■篤姫 家定 夫婦仲
最初のころはともかく、篤姫と家定の夫婦仲はよかった、というのが定説です。
これは、NHK大河ドラマ「篤姫」にそう描かれているから…ではありません。
薩摩藩主、島津斉彬の手紙にそう書いているのです。
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「大奥からの情報では家定と篤姫の夫婦仲はよい。
世継ぎが生まれるのを待っているほどだ。
であるから、こんなときにこちらから継嗣問題であれこれ言って、
それで不都合が生じたらよくない…」
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というような内容です。
■篤姫 家定 子供
篤姫は、1856年に家定の正室として江戸城の大奥へ輿入れしました。
そして、そのわずか1年半後の1858年8月に将軍・家定は死亡。
新婚生活はとても短いもので、しかも、当初から夫婦仲がよかったわけではありません。
ということで、実子を授かることはありませんでした。
一説によれば、篤姫は生涯処女だったという話もあります。
■篤姫 家定 暗殺
篤姫が家定に嫁いだ時期、日本は大変革期にありました。
それにともなう権力争いで、暗殺が跋扈したともいわれます。
まず、島津斉彬が上洛しようと決心した直後、死にます。
これは、そのタイミングからして、幕府側(薩摩藩の守旧派含む)が毒を盛ったからだという説があります。
そして、家定の病死…これに関しても、女中が親族宛に送った「毒を盛られた」という内容の手紙があるそうです。
では、誰がやったか?
徳川慶福、井伊直弼とともに、篤姫にもその可能性があると言われています。
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■篤姫 家定 うつけ
篤姫が嫁いだ家定は「うつけ」だったという説が定説です。
NHK大河ドラマの「篤姫」のなかで家定は「うつけのふりをしている、実は聡明な人間」のように描かれています。
実際は、「うつけのふりをしている」のではなく、やはり軽い脳性麻痺だったようです。
ハリスの日記によると、「言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らした」そうです。
これは脳性麻痺の典型的症状だとか。
ただ、「脳性麻痺」=「おばか」ではありません。
体の部分的コントロールができないだけで、知性的には通常以上のケースも多々あります。
家定の場合、まともな台詞も残っていることから知性的にはきちんとした人だったようです。
篤姫は、そういう病名までは知らなかったでしょうけれど、身体的特徴とは別に現出する家定の知性は理解していたことでしょう。